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一人 Feel℃ walk で「仮説」がみつかる

なんとなく気になることを求めて小グループでワイワイ歩く。気になったモノ・コト・ヒトに出「遇」えば立ち止まり、あれこれ語り合う。先に進まなくてもいっこうに構わない。こうしてのろのろあてもなく歩くと、普段気づかずに見過ごしていたコトへの感覚が開く。面白がるスイッチが入り、物事をとらえる Feel℃ が高まるので Feel℃ Walk と呼んでいる。

これは本当に楽しい。人それぞれの関心の違いで、自分だけでは目に止めないようなモノ・コト・ヒトに気づくことができるし、なにより歩くスピードが落ちるのがいい。立ち止まるポイントや滞在時間が自然に延びるので、あくせくした毎日、意図に振り回されている日常ですっかり凝り固まった Feel℃ がだんだんと解き放たれてゆく。

「みんな」で歩く Feel℃ Walk がとても楽しい一方で、ちょっとしたスキマ時間が生まれたとき、誰かと会ったり、別の仕事を入れたりしないで、一人 Feel℃ Walk に出るのも楽しい。なので「余白」時間を「強制的」にぶらりと歩く時間とするように心がけている。豊かな発想の基盤となる Feel℃ を手に入れるには、こうした「遊びの時間」を持つことが大切。どうぞみなさんも空き時間にあてもなくぶらぶらしてみてください。

と言われても、お前の遊びを正当化したいだけと突っ込まれるだけかな(笑)。

まあそれはさておき、静岡市立高校のSSH研究成果発表会にとても刺激された翌日の午前中は、一人 Feel℃ Walk の時間のための「強制的余白」として確保した。十分に日帰りできたが、安宿で一泊。

今回、やってくる前に関心があったのは「日本平」。富士山と茶畑と海を展望する絶景スポットとして有名な場所で、何度も耳にしたことがあったが、一度も訪れたことがなかった。先日、テレビの情報番組で新しくできた展望回廊を取り上げていたのをたまたま見ていたこともある。

しかし、朝の天気は曇り。どうせ行くなら「快晴」の日に訪れようと気が変わる。

ではどこに……

1ヶ月ほど前、名古屋に出張した。たまたまワークショップをした小学校が熱田神宮のそば。ということで仕事を終えたあとお参りしてから帰ることにした。熱田神宮は、「三種の神器」の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御鎮座するために造られたと言われている。そのことを思い出し、まさにヤマトタケルが「草薙の剣」を用いて猛火をしのいだとされる草薙の地を訪れ、草薙神社にお参りしようと思い立った。

草薙までは静岡駅からJRで行けばいい。けれど、乗り鉄の私にとっては、ずっと乗ってみたかった静岡電鉄に乗るチャンス到来。宿からも近かったこともあり、新静岡駅から向かうことにした。

 

すると途中、「柚木(ゆのき)駅」に止まり、その次の駅は「長沼駅」だった。

柚木に長沼?

私は、八王子市長沼町で育ち、長沼小学校を卒業した。「長沼」は多摩丘陵の北面だが、そのちょうど反対側の南面は「柚木(ゆぎ)」だ。

そう言えば、昨日、辻ちゃん、静岡高校校長の志村先生、文さん、辻ちゃんの同僚の大島さんと飲みに行った店には、「八王子ハイボール」というメニューがあった。

静岡と八王子はつながりがあるのか……

静岡と言えば徳川家康のお膝元。一方、東京の八王子も徳川将軍家とは実は深いつながりがある。今も千人町という地名が残っているのだが、日光東照宮を守る「千人同心」を送り出す役割を八王子は担っていたのだ。八王子の小学生は「社会」の授業で必ずこのことを教わり、当時(今もかもしれないが……)の八王子市内の小学校の6年生の移動教室は日光だった。

草薙に着く前に「長沼&柚木(ゆぎ)」という「偶」が降ってきて、いきなり逗子に戻ってからの宿題が「みつかった」。

まだ歩き始めていないのに、「歩こう!」と思ってなんとなく動き出すと、こうして向こうからネタが降ってくる。これが Feel℃ Walk の醍醐味だ。

15分もしないうちに草薙駅に到着。駅前は特に大きな商店街もない。区画が整理されており、新興住宅地として開発された感じだ。

早速、駅前の地図を見ると草薙神社までは2km弱歩くようだ。神社は丘陵の中腹にある。電車に並走している東海道を横断し、ちょっと東に歩くと石造りの立派な鳥居があった。現在の参道はここからスタートするということだが、ただの車道で、神社を参詣する道の風情はまったくない。鳥居がなければ、整備された住宅地へ向かう道でしかない。

この道をちょっと進んだところが不思議なY字路になっており、「天皇原」と呼ばれる一画らしい。「天皇原」とは大仰な名。案内地図によると、熱田神宮に剣をもたらした景行天皇が立ち寄ったという言われがあり、もともとそこに草薙神社があったらしい。今でも「古宮」があるそうだ。わざわざ移動させなければいけない理由はなさそうなのに、いつ頃、なんのために移動したのだろうか?まさか、この辺りを宅地開発するために移動したのではあるまい。

知りたいことがまた「みつかる」。

さっき見た地図に、鳥居のある道からさらに東海道を東に進むと旧参道の入口があると書いてあった。「旧」の方が歴史的な遺物も残っていそうなので、そちらに向かうことにする。

旧参道も住宅地の中を通る道で、さっきの道とあまり変わりはないが、車があまり行き来しないのがいい。

道はひたすら上り坂だ。しばらく歩くと家が途切れて畑と竹林が見えた。そこに「首塚稲荷神社」という石塔があった。

鳥居はなく、舗装されていないゆるい坂道がのびている。お社はまったく見えない。

首塚

というおどろおどろしい名前だけに、なんとなく寂しげな道を進むのはちょっと気が引ける。しかし、Feel℃ Walk たるもの、自分の目に飛び込んでなんとなく気になってしまったら無視するわけにはいかない。

坂道の先には、氏子さんが寄進したと思われる赤鳥居が並んでいた。ところどころ苔むした道の先に、質素なお社があった。

決して立派とは言えない、むしろ粗末とも言えそうなお社とは対照的に、背後にそびえ立つクスノキは堂々としていた。殺伐な感じはせず、静かで落ち着いた感じのする場所だった。

由緒を読むと、面白いことがわかった。首塚と言っても、いつ、誰の首塚なのかは定まっていないのである。

一つ目の説は、やはりヤマトタケルに関わるもので、タケルがこの地で討伐した部族の「首」を葬ったとするもの。

二つ目の説は、鎌倉時代初期、梶原景時がこの場所から北に3kmほどのところにある「梶原山」と呼ばれる辺りで討ち死にし、景時の愛馬「磨墨(するすみ)」も首をはねられたところ、ここまで飛んできたというもの。

そして三つ目の説は、戦国の世まで下り、今川氏の世継ぎ問題で身内の争いが起き、敗れ去った一族の遺骨がこの辺りに散乱していたため、村人たちが収集して弔ったというもの。野狐が多い地域であったため「稲荷神社」となったとも言われているそうだ。

この3つの説を読んですぐに気づくのは、この地は、古代(ヤマトタケルの時代)、鎌倉時代、そして戦国の世と3つの異なる時代で「戦い」の舞台になったということだ。

敵対する勢力が衝突する場としての草薙

何か草薙という土地には争いが起きやすい要因があるのか

という疑問が「みつかった」。

さらに道を進むと、いったん下り坂になり、谷へ降りたかと思うと、向かい側の斜面に石の鳥居が見えた。草薙神社に着いた。

かつては丘陵の鬱蒼とした木々に囲まれていたのだろうが、今では住宅地の端に、社叢林が残されているという感じだ。

鳥居の脇にはヤマトタケルの石像があるが、比較的最近造られたようで、歴史の重みは感じられない。

境内に向かうと社殿の手前になんと樹皮だけになったご神木のクスノキがあった。痛々しい感じが一瞬したが、背後にうねるように生え伸びているクスノキを見て、受け継いで生き続ける自然のたくましい生命力を感じた。

一方で、草薙の剣の神話につながる場所にしては、神域としての気はあまり感じなかった。

決して荒れ果てているわけではなく、地域の人たちから大事にされているのだろう。しかし、なんと言ってもヤマトタケルにゆかりのある神社ではないか。

あれ?

この雰囲気から思い出したことがある。それは、TCSの子どもたちと「日本の神話」を読んだあと訪れた横須賀・走水神社だ。ヤマトタケルとオトタチバナヒメが祀られる神社である。荒れ狂う東京湾を渡ろうとするとき、タケルの命を守るために姫が海に身を投げて嵐を鎮めたという伝説の地にある。しかし、神の坐す場所としてのオーラに欠けた。草薙神社にも同じような感じを抱いたのだ。

そんなことを感じつつ、境内の地面を見ると、破壊された石灯籠の頭部が埋まっていた。

そこには葵の御紋が彫られているではないか。江戸時代が終わり、明治になって、徳川の威光を消し去るために破壊されたのだろうか。

首塚稲荷で「みつかった」3つの時代に加えて、もう一つの時代、つまり、幕末から明治にかけてのこの土地の「役割」があるように思えた。

国家神道の権威づけのために創られた皇国史観に沿って、ことさらにヤマトタケルを称えた時代。横須賀には海軍基地があったため、走水神社の境内には軍人の建てた碑が多く並んでいた。草薙神社にはそうしたものはあまり見られなかったが、入口に建つヤマトタケルの像は「戦の神」として崇めるために創られたのではないだろうか。

そう考えると、「天皇原」とか「日本平」とかいうような大仰な地名に、そうした時代の発想がつながっているような気がしてきた。

そもそも「日本平」などという呼び方はいつから始まったのだろうか。「日本」という発想を古代の人はしないように思う。「日本平」のある場所の山は「有度山」であり、日本平に隣接する頂きにある東照宮の建てられた山は「久能山」。そこに「日本平」という地名が唐突に現れる。

そんなことを考えながら草薙神社を出て歩き始めると、「東海自然歩道・日本平まで70分」という標識が「みつかった」。70分で着くなら大した距離ではない。草薙駅から神社を経由して日本平まで歩けることが「たまたま」わかってしまった。

しかし、あまりにも不親切な標識で、どっちの道をどう行けばたどり着くのかは全く表示されていなかった。とはいえ、こんどは草薙から神社経由で日本平、そして東照宮まで歩いてみることにしよう。すると今回気づかなかった新たなモノ・コトが「みつかる」に違いない。そのときまで、今日「みつかった」仮説の卵をあれこれ調べながらあたためて育ててみることにしよう。

昨日の高校生のポスター発表の中に、日本平と三保の松原はともに世界遺産なのに、バスの交通アクセスが悪いために、両方をなかなか訪れにくい。二つをつなぐバス路線の便を増やして観光振興を!というものがあった。

しかし、彼らは、この道を歩いてみただろうか。もし、歩いていないのだったら、バスがないからバスを増やそうではなく、バスがないならバスじゃなくてアクセスする方法は?という風に遊んでみるといいのではないだろうか。

むしろ問題は、日本平の展望台、三保の松原とそれぞれを「点」でとらえ、その「間」を歩いて初めて見える歴史のひだを見過ごすことではないだろうか。

 

バスがないなら歩いてみよう。歩けばみつかる日本平の真実!

 

とすると探究も深まるだろう。少なくとも「日本平は富士山と茶畑と海が見えてキレイ!」とだけでは終わらないはずだ。

 

課題「解決」よりも課題を課題としてとらえず、むしろ「利点」として「解消」するやり方もある。そんな発想を高校生が持つともっと面白い研究になるだろう。

改めて草薙から日本平の辺りを航空地図で俯瞰してみる。

ウィキペディアに書かれているように、写真左側を流れる安倍川が形成した扇状地に、突如、丘が隆起した不思議な地形である。

この不思議な地形を「足」で感じて歩くことで思わぬことがまだまだ「みつかり」そうである。次回、草薙から草薙神社・日本平・東照宮と歩き、海岸に降りてみるのが今から楽しみだ。

こうして Feel℃ Walk するだけで「みつかる」ことがある。「みつかった」ことをとっかかりとして、さらに探って行けば、どんどんいろんなことが「みつかり」、しょうもないと思われた仮説もどきもどんどん化けてゆく。

なんとなく、とりあえずをひたすらまわす「みつかる」サイクルを作動すること。そこからすべては始まる。いざ Feel℃ Walk へ!

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