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面白さを愛でてみよう

Connecting Dots・Changing Perspectives・Continuing Stories

ジェネレーターは歩く。歩いて遭「遇」したいから。歩いて遭「遇」したことを「とりあえず」集めたいから。評価・判断・選択はまず置いて、たまたま出「遇」ったモノ・コトを「ひたすら」集める。すると集めた「点たち」が自ずと動き出して何かとつながる「偶」となり、思わぬ発見を生み出す=ジェネレートする。それを面白がる毎日を送ることを習慣にしているのがジェネレーターなのだ。

GW前半。これから一緒にプロジェクトする仲間たちと街を歩いた。スタートは品川。自分が見たい何か、探したい何かがあらかじめあったわけではない。品川近辺にプロジェクトに関係する何かがあったわけでもない。みんなでミーティングする場所までぶらぶら歩いてたどり着くのにちょうどよい起点が品川だったというだけのことだ。

いつものことながら、歩けば数々のモノ・コトに出「遇」う。「思い」を持って歩き始めたわけではないので、出「遇」うすべてが「意外」なモノ・コトばかりになる。その中でも特に自分に引っかかるモノやコトがある。それが自分の「発見」につながる「偶」の起点となる。歩き終わった後に、

「そう言えばあれがそもそもの始まりだった!」

というように、単なる出「遇」いが意味ある「偶」へと生まれ変わる。

あの人に出会ったから今があるとか、あそこであれを手にしたからとか、たまたま立ち寄ったからとか、そういった出「遇」いに支えられて私たちは生きている。滅多にないことのように思うかもしれないが、実はこうした「偶」発の種と時事刻々出「遇」っている。いつ浮かび上がるかわからない種を「愚」直に記録して面白がるのがジェネレーターなのだ。

今回ウォークした後、家に戻ってきて集めた「点たち」の写真を見直した。その結果、一番気になったのがこの写真だった。

品川駅からあちこちあてもなく歩いて、北品川の旧東海道にたどり着いた。そのときに現れた石碑。なんとなく気になったのでパシャり。インスタ映え感ゼロのこの写真が今回の発見の Connecting Dots となろうとはもちろん写真撮影時には知る由もない。

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問答?誰と誰が?いつ?どんなコトを?

気になって石柱の脇にある木の案内板を見たが、劣化して字が消えていて読めなかった。だからなおさら気になってしまったのかもしれない。

 

家に戻り、早速調べてみると、問答したのは徳川家光と沢庵和尚だとわかった。三代将軍として徳川幕藩体制を磐石にした家光。武家諸法度だの参勤交代だの数々の制度をつくった家光。反逆の芽を事前に摘むべく有力大名を取り潰し、キリシタンを弾圧した家光。統治者としては優秀。一方で組織を守るためには冷徹になりきれる。映画「ゴッドファーザー」でアル・パチーノ演じたマイケル・コルレオーネの姿と重なる部分がある。

 

家光に関わる「点」とは、品川駅から歩き始めてすぐに出「遇」っていた。駅前のタクシー乗り場から、品川プリンスホテルの敷地のすぐ脇に小さな社があるのが見えたので、気になって立ち寄ってみたのだ。高山稲荷というなの小さい神社の境内に入ると祠の中にある石像が目についた。

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由縁を書いた案内表示によると、この石像は「おしゃもじさま」と呼ばれているそうで、ただ、その名前の由来ははっきりしないと言う。しかし、私はこの像とそっくりの像をつい2週間ほど前に見たことを思い出した。

恵比寿で打ち合わせがあるので、その前にちょっと「余白時間」を作って、大崎駅から歩いて向かうことにした。その途中、目黒付近で、切支丹灯篭と呼ばれる石像に出「遇」ったのだ。

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T字型をしているが、これは十字架のイメージ。石柱内に掘られているのは「仏」ではなく「キリスト」だと言うので驚いた。仏像は両足を開いていないが、切支丹灯篭に刻まれている像は両足を開いているということをこの時知ったのだが、目黒で発見した像の足の部分は磨耗しておりはっきりしなかった。しかし、高山稲荷の「おしゃもじさま」の両足は明らかに開いているのがわかった。

「これは切支丹灯篭に違いない……」

とピンときたのだった。改めて、ググって調べてみると、港区教育委員会の解説として、

「このおしゃもじさまは、もとは切支丹灯篭で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である」

と書かれていた。直感は間違っていなかったようだ。

高輪海岸で切支丹の処刑が行われたのは元和9年(1623年)12月のこと。命じたのは徳川家光だった。数百人の切支丹が江戸市中を引き回された後、高輪の丘で火あぶりにされた。この後、勃発する島原の乱については学校の歴史の授業で習うものの、江戸のキリシタン虐殺についてはほとんど触れられることはない。恥ずかしながら私も一年ほど前に田町から高輪・品川を歩いた時にたまたまそのことを記す慰霊碑に出「遇」い、初めて知ったのだった。

その時見つけた慰霊碑の一つは田町駅に近い住友ビルの脇の公園にあり、

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もう一つは品川プリンスホテルの裏手にある高輪教会にある。

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話が大幅に横道にそれたが、以前、そして今回も、幕府安定のために冷酷無比に仕事を進める家光のイメージがあったので、ここで沢庵とどんな問答をしたのかとても気になった。

ところが、調べてわかった問答の中身はなんとも他愛のないものだった。

家光は沢庵の住む品川の東海寺まで船でやってきた。波止場に出迎えた沢庵和尚に家光がこうたずねた。

「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」

すると沢庵和尚は

「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」

と答えたと言う。このエピソードは『徳川実紀』に書かれているそうだ。ただのオヤジギャグの応酬のようだ。

ちょっとこれは「冷酷無比」な家光のイメージと違うぞ……

家光に対する興味が高まってきたので、家光に関する「動画」はないかとググってみると、昔好きだったテレビ番組「知ってるつもり」(注:関口宏が司会で、歴史上の人物の生涯を追う番組。1989年〜2002年まで放映された。再現映像とゲストの解説を交え、独自の切り口で生き方を探るなかなか面白い番組だった)で家光を取り上げた回がアップされていたので、早速、視聴してみた。

番組の最後の部分で、徳川家の基盤づくりを冷徹に成し遂げながら、満たされず寂しい心を抱えて虚しい毎日を送った様子が描かれた。その時に出会ったのが沢庵和尚だったのだ。

京急新馬場駅近くに今も残る、沢庵和尚の住んでいた東海寺。問答河岸の近くの寺の一角で沢庵和尚はひっそりと眠る。

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ようやくたどり着いた心の師から家光が形見の品として受け取ったのは、沢庵和尚が自画像として描いた円相図だった。

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自分なんてものは大いなる宇宙の中のちっぽけな塵みたいなもの

という意味なのか、

こだわりのない心を目指しつつ、やはりどこかそうなりきれない部分が残ってしまう

という意味なのか、和尚はどこまでも「謎」をかけて去って行った。家光はこれを日々眺め、終わりなき「問答」を続けたに違いない。

番組には「問答河岸」のエピソードは出てこなかったが、沢庵和尚が家光にとっていかに大事な存在だったかがよくわかった。自分を守るためには気を許すことは禁物。どこまでも冷徹かつ合理的に情を捨てて生きてきた家光が、晩年、束の間でも穏やかな時間を過ごすことができたのは和尚のおかげだった。

穏やかとは言え、家光にとっては自分を見つめ直す真剣な鍛錬でもあったのだろう。この問答はユーモアあふれるダジャレのように見えながら、実は深い。近くにあるのに遠いものとしてとらえ、大きそうに見えて小さいことに惑わされてしまう人間の「とらわれ(今風に言えばバイアス)」を見事についているからだ。

ある時、家光は鏡で自分の顔を見てはたと悟ったことを次のような和歌として残した。

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鏡には知らぬ翁の影とめてもとの姿はいづちいくらん

直訳すれば、

鏡をのぞきこんでみたら見たこともない翁の姿が映っていた。今までの自分の姿はどこへ行ってしまったのだろう

という意味になる。これは、若き日の自分が老いさらばえてしまったことを嘆く意味にとれる。しかし、おそらくそうではない。これまでの自分が消え、翁としていい意味で脱力した自分の姿を見たことへの感慨の歌であろう。

家光は、このとき、下の図で示したような、ジェネレーターが見つめる Proactive Mirror を見たのだ。

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沢庵和尚という優れたジェネレーター代表=ジェ代と出「遇」い、日々の出来事を判断・選択せずになんでも受けとめ、観察してみることを覚えた。それは円を歪ませる「とらわれ」を捨てて、なんでも虚心坦懐に受けとめる姿勢と言ってもよいだろう。

そうした毎日の中で気づいたことを語り、問答を重ねた。はじめは沢庵和尚と問答し、和尚亡き後は、円相図と語り続けた。その果てに、ふと浮かんだのが「和歌」の境地だったのだ。鏡に映った姿は、ようやく到達した境地であり、これからの生き方を暗示した姿。Proactive Mirror を見たのである。

「問答河岸」にたまたま出「遇」ったことが、家光と沢庵和尚という「偶」を生み出す Connecting Dots となった。そしてその「偶」が、ジェネレーターの Proactive Mirror とつながった。私の考えてきた先行知識との Continuing Stories が見えたのである。さらに、家光と沢庵和尚の「問答」がコラボレーション&コミュニケーションを考える上でヒントに満ちたものであることに気づいたという意味で Changing Perspectives があった。

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こうして、面白さを3つの C で愛でてみることが、さらなる「偶」を生み出し、次の Proactive Mirror を映し出すきっかけになる。

半日歩いただけでも、プロセスをこうした観点で見つめなおせば、立派に面白い「研究」になる。こうした習慣を続けてジェネレーターマインドに磨きをかけてゆこう。

それは自ずと沢庵と家光が日々していた修行と重なるのかもしれない。

「おっちゃんよ、まあ、あんまりわかった気にならずに、日々、歩いてゆくんだな」

家光?沢庵?それともジェ代の魂の声が聞こえてきたのかな(笑)